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 昔は、身を守る技術に対応すべく精神力を養い「死」の概念を乗り越えて、武士として人間としての向上をしたと思われます。空手は人を倒す事だけに囚われるのでは無く、人を生かし、己を生かしてこそとして価値が生まれます。此は自分の闘いで有り、肉体の限界を超えてこそ其処に真髄というものを感じる事が出来、の存在を感じます。其のとは魂の存在で有り、其れ故生かされて居る事に気付きます。「葉隠」には「武道とは死ぬ事と見付けたり・・・・・・」と有りますが、此は、死を超越した心の境地で有り、其の神秘に気付く事で有る。肉体を越えた所に心を持って行くと神を感じます。

 我々は自然の中に溶け込み一体と成り、「生かされて生きる生命」で有り、生きとし生けるもの「我が生命、此神の命成り」で有る。御陰で生かされて生きる生命で有る事に感謝して生きる。

 太陽の下に生き、其の恵みは自然の草木にも、我々の心身にも太陽のエネルギーが満ちて居る。万物を造った神の元、生かされて生きる生命なので有る。

 武士道は神の国(日本=神道)で発生した。武士道とは、「心身一如」宇宙に存在する全てのものが唯一絶対のものとして関係し合って居る事を感じ、真理を追究する人の道で有る。神の気が、宇宙の気が、太陽の気が、地球の気が、草木の気が、動物の気が、人間の気が・・・・・・関係し合って居る。神を感じ、神の気と自分の気を臍下丹田に込め一体と成る。真理に気付き、目覚め、悟ると言う心の探究を生涯を掛けて精神修養という形で行う。

 武道場には必ず神棚を祀り、稽古の始めと終わりには神前に整列して、礼を行い、呼吸を使い、気を研ぎ澄ませて自然に溶け込み黙想(神と交流)する。心境を高めて神に祈り、神の気の充満した中で稽古をし、又、心境を高め神に無事に稽古を終えた事に感謝する。武道場は神聖な場所で有る。

 真の武道は、神と一体で有り、神の元で生活を送り生涯を心の行として真理を追究しながら修行をします。

 真の武道を追求するには、全てが理に適う食生活を送ら無いと真理が見えて来ません。真理の追究、聖士への道は神への道でも有ります。

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